徳島文理大学
健康科学研究所
免疫アレルギー部門
教授
杣 源一郎
(LSIN 自然免疫賦活技術研究会
会長)
最近、免疫系の役割が侵入異物の除去だけでなく、睡眠や、疲労回復といった生体を維持していく上で必須な機能を有していると考えられるようになり、免疫系は健康維持と極めて深く関係する機構と考えられています。しかし、これまで免疫の研究は抗体(B細胞)やT細胞受容体(T細胞)等の特異免疫が主体であり、健康の維持という全身的(ホリステック)な現象を理解できるような研究はほとんどされて来ませんでした。免疫系に注目して健康を維持する機構を解明し、さらに、この機構をうまく利用して、科学に裏付けられた健康維持の達成が可能ではないだろうかと考えています。
すべての生物には生命を健康に維持する機構が厳然と存在しているはずです。ですから、健康の維持機構を解析するためには生命が40億年に渡り営々と育み培ってきたすべての生命の中に保存されている仕組みを研究することが重要であろうと考えています。そこで、現存するすべての生物種に存在する免疫機構を捉えてみますと、現在分類されている生物種のうち約43,000種が特異免疫を持つ動物種であり、分類されている全多細胞動物の約1,023,000種のわずか4%にすぎません。実際の生物種は分類されていない細菌や植物を含めると5000万種程度と見積もられていますので、特異免疫を持つ動物は全生物種の割合から計算すれば0.1%程度に過ぎないことになります。99.9%の生物種は自然免疫だけで体を守っている事実は注目すべき点です。
進化的に見れば、獲得免疫は脊椎動物へと複雑化していく過程で自然免疫から派生し発達してきたもので、体細胞の中での遺伝子組み替えにより多様な外来異物を抗原として認識し、対応する免疫システムを作り上げています。見方を変えれば、特異免疫の源は自然免疫といえます。ですから、特異免疫を研究しているだけでは、全動物種の96%以上の生体恒常性制御機構を見失う事になりかねないわけです。
自然免疫とは、教科書的には、自然免疫(innate immunity)はすべての生物が生まれながらに有する生体防御システムと書かれています。細菌やウイルスなどの病原体の侵入異物に対する識別が生体防御の最も基本です。生物には生まれつき備わった異物識別のシステムがあります。例を挙げますと、最近、哺乳類では異物識別タンパク質としてToll like receptor (TLR)と呼ばれる分子群が注目されています。これらは主にマクロファージ(メモ参照)の膜表面に発現している分子群で、細菌の膜成分や、ウイルスに特徴的な遺伝子、細菌に特徴的な遺伝子等の認識に関与しています。もともとTollはハエの個体発生を制御する一つの分子として見つかったもので、そのホモログが哺乳類で見出されました。はじめはTollに似た受容体という名前が付けられましたが、研究が進みこれらが異物識別に関わる分子群であることがわかってきますと、TLRの発見は自然免疫がいかにして異物識別を行うかのメカニズムを解析する上で画期的な発見であることがわかりました。自然免疫の重要性を再認識するのに多大な貢献をはたした分子群といえます。
しかし、健康維持をどの様にして自然免疫が担うのかということになると、これまで生物学をリードしてきた研究方法とは異なった方法を考案する必要があると思われます。一つの手がかりとして、生物は『変容する「自己」に言及しながら自己組織化をしていくような動的システム』(1)であるとの視点に立って複数要素が関係することでしか成立しない現象に注目し、その機構を科学的に究明することが有用ではないかと考えています。現在、私達は自然免疫の基本的な機能について、『生物は環境情報に応答した可塑性を有する。環境情報を受信する主要な細胞群はマクロファージである。マクロファージは自己・非自己(不要化自己を含む)等の識別機構を介した情報を生体内部に発信し、この情報が生体の至適な応答を誘導する。これによって、生体恒常性の制御が行なわれている。マクロファージは外部情報の受信者であると同時に、内部情報の発信者でもあり生体内恒常性が適正に維持されていることを認識するセンサーでもある。』と考えています。
生物は様々な情報を環境から受けとり、刻々と変容していく。情報とは温度や光、食事等の外部からの情報だけでなく、細胞レベルで考えれば生体内の細胞や、分子もそれに含まれます。それらが情報制御の主要な受容細胞であるマクロファージによって捉えられ、生体内に新たな情報として伝えられるのです。例えば、激しい運動等により、体内で活性酸素が多く産生されると、それによって傷つけられた細胞や分子が出来ます。これらを認知して、除去し、組織や細胞の再生を促すのがマクロファージを中心とする自然免疫機構です。また、SARSウイルスやHIVウイルスが生体内に侵入してくれば、これを認知して除去し、遺伝子が傷つき増殖の制御から逸脱してどんどん増えていく異常な細胞(がん)があればこれを認知して除去するのがマクロファージを中心とする自然免疫機構であると言えます。即ち、マクロファージは自身が情報受発信装置でありかつ制御装置であることに加え、実働装置でもあることになります。
メモ
貪食細胞(マクロファージ)は1882年エリー・メチニコフによって発見され、命名された系統発生的に保存された、つまり、海綿でも、ミミズでも、昆虫でも、ネズミでも持っている、異物を取り込む細胞です(2)。マクロファージは最も単純な多細胞動物であるカイメンや、腔腸動物においても既に存在し、侵入異物に対してこれを認識し、貪食する機能を有しています。単細胞動物も異物認識し、これを貪食する細胞なので、系統発生的視点から見ると、単細胞動物もマクロファージと考えられることから、村松繁先生(京都大学名誉教授)は『はじめにマクロファージありき』と述べています(3)。すべての多細胞動物、ヒトも、マクロファージ様細胞に原点があり、マクロファージ様細胞から分化した細胞によって個体が成立していると見ることが出来るということです。
参考文献
1. 多田 富雄、免疫の意味論、青土社、1993.
2. Elie Metchnikoff, L’Inflammation, 1892. (メチニコフ炎症論、飯島宗一、角田力弥訳、分光堂、1976).
3. 村松 繁、免疫系の発達、p46-61(免疫学入門、多田富雄、螺良英郎、医薬の門社、1983).